過去に、何度か異なるお客さまから、撮影の打ち合わせの際に同じことを相談されたことがあります。
「ちょっとこの写真みてくださいませんか?どう思われますか?」
その写真は、ピントが全然合ってなかったり、画質がとても悪かったり、白飛びして赤ちゃんの顔がわからなくなったような写真でした。
毎回ともに、私はピンときていましたが、そのまま質問に対して答えました。
それぞれに、こう答えました。
- 「残念な写真ですね。これはピントが合ってないですね。背景が綺麗ですけど、ご家族がボケてますね」
- 「残念な写真ですね。これはピントがずれています。それをフォトショップでシャープを強くかけて誤魔化そうとしていますね」
- 「とても残念な写真です。許されない写真です。写真全体はとてもかっこいいですけど、露出調整を完全に失敗しています。かっこいい写真を撮ろうとして、お宮参りなのに、赤ちゃんの顔がわからなくなっています」
ここまで読まれた方はピンときていると思います。
そうです。これはすべて、お客様が過去にプロカメラマンに撮ってもらった写真なのです。
さらに悲しいことにみなさますべて、こうおっしゃるのです。
「わたしも『失敗写真では?』と感じたんですけど、相手はプロカメラマンだから『この写真が正しいんだ』って思い込むようにしていました」
1. 「プロという肩書き」が凶器になっている恐怖
お客様は、自分の違和感(ピントが合っていない、顔が見えない)よりも「プロが納品したものだから」という看板を信じようとしています。
つまり、そのカメラマンはお客様の審美眼や常識を「プロ」という言葉で封じ込めていたことになります。これは誠実さの欠片もない、プロとして最も恥ずべき行為だと感じました。
最初と最後のケースは「ピンボケに気が付いていない」「赤ちゃんの顔が真っ白になっていることに気がついていない」という、カメラマンとしての能力の低さが原因です。
真ん中のケースは、「失敗を誤魔化そうとする」誠実性のなさ、「これで誤魔化せる」と思っている、「お客様を馬鹿にした精神」が原因です。
2. 「かっこいい」と「正しい」の履き違え
「写真全体はかっこいいが、赤ちゃんの顔がわからない」というケースは、「かっこいい写真を撮ろう」「SNS映えする写真を撮ろう」とする、出張カメラマンの慢心です。
私たちは、アート作品を撮っているのではなく、家族の記録を撮っているのです。
アート性は、その記録への上積みでなければなりません。
「自分が撮りたい」の前に、「お客様が求めているもの」を撮る必要があるのです。
それは具体的にではないかもしれませんが、それを汲み取ることもプロカメラマンの仕事です。
好き勝手に撮って良いのは、職業カメラマンではなく、写真家というアーティストだけです。
3. お客様がプロカメラマンに求めているもの
このお客様たちが、プロカメラマンを雇った理由はなんでしょう?
プロカメラマンに求めていたものはなんでしょう?
それは「確実に最低限のクォリティをクリアした写真を残すこと」、これにつきます。
さらに望むなら「素敵な写真だとうれしい」です。
求めているのは、「写真としての結果」であり、カメラマンの自己満足や誤魔化しではないのです。
「パッと見が綺麗でも、主役の赤ちゃんがのっぺらぼうになっている写真」は、最低な写真です。それに気づかず渡すカメラマンも最低です。
お客様が、カメラマンに依頼するいちばんの理由は、
「信頼」
です。
この「信頼」のために、お金を払ってくださるのです。
私の経験からお話しすると、カメラマンに求められるのは写真だけではありません。
書籍等であれば「こんな写真にすると、こんなページになるのでは?」などのアイデアもそうです。
「あのカメラマンさんなら大丈夫」、「あのカメラマンさんなら想定以上のクォリティ」
そんなことに、お客様はお金を払ってくださるのです。
お客様にとって大切なことの順に言うと、「確実」、「品質」になります。
もちろん、この「品質」とは、お客様にとってのものであり、カメラマンの自己満足であってはいけません。
とても地味なことですが、こうした「信頼に応えて積み重ねていくこと」が、フリーランスカメラマンにとっては最も大切です。
そうすることにより「次もあのカメラマンさんに」に、繋がっていくのです。
お客様の『信頼』に応えるために、カメラマンとしてのあなたが身につけるべき『確実な技術』の話をしましょう。
